全日本お好み焼き協議会によれば、お好み焼きには16の流派が存在する。

・井上流
キャベツと肉・魚介を中心とした具材を生地に混ぜ合わせ焼く、現代では最も一般的な流派。
発祥は1507年、当時パリ留学から帰国した井上善治郎は日本の食糧危機を目の当たりにし、「安価で栄養価の高い食べ物を」と当時パリで大流行していたクレープを参考にした「御香呑焼」を生み出した。これは山芋と小麦粉を出汁でといた生地をベースとし、それに山菜、キノコ、猪肉のミンチ等を加えて焼いたものだ。当時の日本では獣肉を食べる事は禁忌とされていたが、善治郎は肉をミンチ状にした上に生地で包み隠す事で食べ手の抵抗感を和らげようとしたのだ。
この狙いが功を奏し、御香呑焼は庶民の楽しむ食として広く親しまれるようになった。1699年には12代目井上管五郎が中に入れる具材を大幅に改良し、名前も「お好み焼き」と改めた。
現在では23代目井上信三郎が西大島にある「妙蓮亭」にて代々伝えられてきた味を守り続けている。


・筧流
公式の文献によれば796年に筧正孝によって考案されたのが始まりとされている。
当時伊賀忍者団の頭領であった筧正孝は隠密行動中の携帯食として小麦粉を選び、周囲にある野草等を加えた上で水で練り、粥のようにして食べていたと言う。
しかし井上流が全国的に流行すると、当時の頭領であった筧米光はこれに憤慨し、筧流の設立を宣言。筧流こそが御香呑焼の元祖であると主張した。
しかし筧流は原則的に火を用いず生地をそのまま食べるため民衆には御香呑焼とは認知されず、歴史の影に埋もれていく事になる。
現在では筧流のお好み焼きを作れる者は数名しか残っておらず、北砂にある「連珠」でのみ味わう事が出来る。

・橘流

・足立流

・宇田川流

・江川流

・小田桐流

・季田流

・堅剛流

・数寄屋橋流

・山岸流

・箭埜流

・三枝流

・庵殻流

・織田流

・B-Style

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