http://anond.hatelabo.jp/20070218013048
そもそも「健常者」「障害者」とカテゴライズする事自体が差別だ。
どんな人間だろうと奇怪な行動を取れば周囲から排斥され、
ルール違反をすれば相応の罰を受けるのが当然だ。
「可哀想な人だから優しくしましょう」
「体の不自由な人には席を譲りましょう」
「ハンディキャップを持つ人を差別するのは辞めましょう」
これらの言は全て「普通でない人」と言う概念が存在しなくては
そもそも書けない文章だ。これを差別といわずして何と言うのか?
「これは社会全体の問題です。我々大人たちが一丸となって向き合わなくては解決できません」等と言う戯言を吐く者を見ると吐き気を催す。
そう思うのならば同志を自らの手で集めて会社なりボランティア団体なりを設立し、実際に行動すれば良い。そうするだけの力も無いくせに、聞こえの良い言葉で正義を気取るだけの偽善者ほど醜いものは無いだろう。
社会が多様化・複雑化してゆけばその中に除け者や嫌われ者や異端者が出てくるのは必然の事だし、それを排除しようとする動きが出てくるのも必然だ。それを言葉のカーテンで見えなくする事は単なる甘えでしか無い。
ちなみに、AMC運営者としての私のスタンスはCDCの日記でアラジンさんが書かれている物と基本的に同じで、「健常者」であっても「障害者」であっても、トーナメント進行に支障を来たす恐れがあると判断した場合は参加をお断りするし、そうでないならば誰でも歓迎する。これまでもそうだったし、これからもこのスタンスを変えるつもりは無い。
そもそも「健常者」「障害者」とカテゴライズする事自体が差別だ。
どんな人間だろうと奇怪な行動を取れば周囲から排斥され、
ルール違反をすれば相応の罰を受けるのが当然だ。
「可哀想な人だから優しくしましょう」
「体の不自由な人には席を譲りましょう」
「ハンディキャップを持つ人を差別するのは辞めましょう」
これらの言は全て「普通でない人」と言う概念が存在しなくては
そもそも書けない文章だ。これを差別といわずして何と言うのか?
「これは社会全体の問題です。我々大人たちが一丸となって向き合わなくては解決できません」等と言う戯言を吐く者を見ると吐き気を催す。
そう思うのならば同志を自らの手で集めて会社なりボランティア団体なりを設立し、実際に行動すれば良い。そうするだけの力も無いくせに、聞こえの良い言葉で正義を気取るだけの偽善者ほど醜いものは無いだろう。
社会が多様化・複雑化してゆけばその中に除け者や嫌われ者や異端者が出てくるのは必然の事だし、それを排除しようとする動きが出てくるのも必然だ。それを言葉のカーテンで見えなくする事は単なる甘えでしか無い。
ちなみに、AMC運営者としての私のスタンスはCDCの日記でアラジンさんが書かれている物と基本的に同じで、「健常者」であっても「障害者」であっても、トーナメント進行に支障を来たす恐れがあると判断した場合は参加をお断りするし、そうでないならば誰でも歓迎する。これまでもそうだったし、これからもこのスタンスを変えるつもりは無い。