http://alfalfalfa.com/archives/6419736.html
いじめを「暴力・恐喝」と定義するのであれば、システム面で対応する事も出来るだろう。
何かあれば即通報する事と、それに即対応する事を徹底させれば良いのだから。
しかし「仲間はずれ・無視」と言ったレベルまで範囲を拡大した場合、システムで対応する事は出来なくなる。
無理矢理グループに入れた所で孤立する事は避けられないし、無視するなと強制すればロボットのような生返事を繰り返すようになるだけだろう。
いじめとは集団からの迫害であり、その根底にあるのは嫌悪感だ。
突き詰めれば感情の問題なのだから、人が心を持っている限り根絶するのは不可能だろう。
これで嫌悪感の原因がハッキリしているのならばまだ救いがあるのだが、殆どの場合は「何となく気味が悪い」「何となくウザい」「何となく癪に障る」と言った原因が曖昧なケースであり、改善するのも容易ではない。
ではどうすれば良いのかと言うと、いじめの存在を受け入れ、その上でどうすれば被害を最小限度に抑える事が出来るのかをいじめられる側に伝えるしかないだろう。
いじめとは忌むべき物でも無くすべき物でもなく、社会が存在する限り常にありつづける必然の現象だと公に認め、それを回避するためにはどうすれば良いか、或いは遭遇してしまった時にどうすれば被害を最小限度に抑えられるかをマニュアル化していじめられる側に伝える。これが最も良い方法だ。
逆にいじめる側を啓蒙しようなんてのは完全な無駄でしかない。
千の言葉を尽くしたところで根本的原因である嫌悪感は払拭出来ないし、行動を制限したとしても嫌悪感が残っていれば他のあらゆる方法で対象を排除しようとするだろう。
そもそも被害を受ける側ではないのだから、問題の円満解決に積極的になろうはずもない。
所詮他人は他人でしかなく、問題解決を他人に依存する事がそもそも間違っているのだ。
自分の身は自分で守る。その意識が芽生えてはじめて人は自立する事が出来る。
環境を無理矢理変えようとするのではなく、各人の自立を促す事こそがいじめに対する正しい姿勢ではないかと俺は思う。
いじめを「暴力・恐喝」と定義するのであれば、システム面で対応する事も出来るだろう。
何かあれば即通報する事と、それに即対応する事を徹底させれば良いのだから。
しかし「仲間はずれ・無視」と言ったレベルまで範囲を拡大した場合、システムで対応する事は出来なくなる。
無理矢理グループに入れた所で孤立する事は避けられないし、無視するなと強制すればロボットのような生返事を繰り返すようになるだけだろう。
いじめとは集団からの迫害であり、その根底にあるのは嫌悪感だ。
突き詰めれば感情の問題なのだから、人が心を持っている限り根絶するのは不可能だろう。
これで嫌悪感の原因がハッキリしているのならばまだ救いがあるのだが、殆どの場合は「何となく気味が悪い」「何となくウザい」「何となく癪に障る」と言った原因が曖昧なケースであり、改善するのも容易ではない。
ではどうすれば良いのかと言うと、いじめの存在を受け入れ、その上でどうすれば被害を最小限度に抑える事が出来るのかをいじめられる側に伝えるしかないだろう。
いじめとは忌むべき物でも無くすべき物でもなく、社会が存在する限り常にありつづける必然の現象だと公に認め、それを回避するためにはどうすれば良いか、或いは遭遇してしまった時にどうすれば被害を最小限度に抑えられるかをマニュアル化していじめられる側に伝える。これが最も良い方法だ。
逆にいじめる側を啓蒙しようなんてのは完全な無駄でしかない。
千の言葉を尽くしたところで根本的原因である嫌悪感は払拭出来ないし、行動を制限したとしても嫌悪感が残っていれば他のあらゆる方法で対象を排除しようとするだろう。
そもそも被害を受ける側ではないのだから、問題の円満解決に積極的になろうはずもない。
所詮他人は他人でしかなく、問題解決を他人に依存する事がそもそも間違っているのだ。
自分の身は自分で守る。その意識が芽生えてはじめて人は自立する事が出来る。
環境を無理矢理変えようとするのではなく、各人の自立を促す事こそがいじめに対する正しい姿勢ではないかと俺は思う。
コメント
いじめられる側は何らかの面で劣等な何かを抱いている場合が多いから
多少指導した程度では防げんやろうね、本人の意識が変わらん限り。
いじめを社会的に忌むべき現象とする理由はあるよ。
いじめる側にリスクを生じさせれるからね。
それによって苛めを完全に無くすのは不可能だけど起こりうる苛めを未然に防ぐことができるから。
間違い。
そもそも虐めは虐める側が「虐める」という行動を選択しなければ発生しない。
したがって虐めの原因は虐める側の慈愛心、包容力、想像力、
表現力、忍耐力、思いやり等の欠如である。
虐められる側にあるのはあくまで虐める側を不愉快にさせる要因であって、
原因ではない。
(※例えば、健全な人間であれば他人を不愉快にさせる
人間(虐められる要素がある人間)に対しては口頭での注意を繰り返し
相手が反省したところで通常の関係に戻るため虐めは発生しようがない。)
相手の非を理由に己の行為を正当化する虐め側の
心の弱さ・貧しさこそが「虐めの本当の原因」である。
そもそも虐めはなくならないというが、ニュースにならないだけで
市井の教師や生徒のお陰で至るところで虐めは撲滅されている。
また、大人社会での虐めについては、ただ単に大人として精神が成熟していない
人間が多いというだけで決してシステム上の問題ではない。
>>どうすれば被害を最小限度に抑える事が出来るのかを
>>いじめられる側に伝えるしかないだろう。
いじめは無くせないものであるという前提が間違ってるからこれも間違い。
もちろん、対処療法としては効果的だがこのような認識に基づいた
いじめ対策はいじめ側の弱さ(上で挙げた心の弱さ・貧しさ)を放置して
大人になっても虐めをする未成熟な大人を量産することになってしまう。
真にやるべきことは虐めっ子の分析とそこから得られた情報を
基に理論に基づいたケアをすること。
虐められっ子には対処療法として軽く手を打ちつつ、同時に虐めっ子側の
教育に力を入れて虐め撲滅を目指すという現在の手法は論理だけでなく
実地報告としても正しいことは明らかになっている。
一つ問題点を挙げるとすればそれは現場の教師に虐める側を
教育するだけの余裕と技量が無いこと。
「それ以前」では絶対に実現不可能だと思われていた変化も歴史を辿れば
いくらでも散在している。
いじめが有史以来解決してこなかったのは、貴族-市民、黒人-白人
男-女と異なり、虐めっ子と虐められっ子が同一のコミュニティに
属していたことと加虐-被虐の立場逆転が頻繁に発生していたことによる
問題理解への遅れが原因。
教育努力により「虐めをしない子」が世の大半を占めるような社会になれば、
実際に行動を起こさない限り問題解決を図れなかった上記の三つとは異なり
虐めという行為自体は自然に消滅する。
障害者とか甲子園球児の件についても視点がミクロ過ぎるか短絡的過ぎる。
>殆どの場合は「何となく気味が悪い」「何となくウザい」
>「何となく癪に障る」と言った原因が曖昧なケースであり、
>改善するのも容易ではない。
↓
>ではどうすれば良いのかと言うと、いじめの存在を受け入れ、
>その上でどうすれば被害を最小限度に抑える事が出来るのかを
>いじめられる側に伝えるしかないだろう。
意訳:虐める側「オレ変わるの難しいからお前が変われwwwww」
改善するのは容易でない(キリッ とか言ってるけど、
これってただ単に改善すること自体を放棄してるだけじゃ・・・(ry
ネタ蒔きの言うようにやったら虐めっ子はスルーされ続けるわけだから
将来的には虐めっ子の親が似たような子どもを生んで学校も
ドンドン殺伐とした感じになっていきそうだなぁ
心が貧しいぞ!!!
意識を変えなければ困るのは自分だと言う事をどう気づかせるかですかね。
リスクに関しては懐疑的です。よりばれにくい方法へとシフトさせる要因にはなると思いますが、いじめ自体の発生確率を減少させる効果は無いのではないでしょうか?
>774さん
現実として、いじめる側は「いじめる」と言う行動をとり続けています。
いじめる側はそんな現状に不満を抱いていないのですから、いじめる側に対する意識改善の圧力は事態改善という目的に対し余りにも非効率的すぎます。
慈愛心や思いやりの教育と言えば聞こえは良いですが、実際には何の効果もないお題目に過ぎないのではないでしょうか?
いじめが撲滅されつつあると書かれていますが、その信憑性にも疑問符がつきます。仮にそれが本当であれば、いじめについての話題は自然とフェードアウトすると思うのですがどうなんでしょう?
774さんの言う所の未成熟な大人は現時点で沢山います。単に直接的な方法をとらなくなるだけで、「なんだか気にくわない」と言う理由で迫害しようとする人間なんて余りにもありふれています。
これはもう人間の構造上の欠陥として認めるべきだと私は思いますね。
>ほそくさん
教育努力によりいじめない子を増やす事が出来ると言う前提に、私は疑問を覚えます。
>ほっけさん
単にその時自分が不思議だなぁと思った事をそのまま書いてるだけですよ。
その内容が高尚か低俗かなんてのはどうでもいい事です。
>通りすがりさん
まさにその通りです。
自分から改善するなんて面倒くさい事、いじめる側もいじめられる側もやりたくないに決まってるんですよ。
なので現状に不満を抱いている側が動かない事には何も始まらないと思うんですよね。
例えばお互いにコンバットトリックやらカウンターやらが満載のデッキを使っていると、先に動いた方が圧倒的に不利なわけですが、ボードの優位をどちらかが取っている場合、取られている側が行動を強制させらますよね。
あれと同じようなものです。
システマチックにしようとするとそういう意見になりそう。
個人的には、「いじめた側のリスク」ってのをもっとおおっぴらに
公表したら改善はされると思う。それこそ未成年の実名公表とか。
どっちにしても是か非かは別。俺らが考えても変わらんし。
一市民ができることは基本自衛だけだからねえ。
※そういう意味ではネタ蒔きの意見は的を得ていると思う。
結果として被害者側が淘汰されてされて沈静化するわけですが、これは群の秩序や安全を維持するための当然の本能です。
つまり自然動物の群において、いじめは正当化されます。
人間の場合は、人権や福祉といった反自然的な思想を取り入れているので、齟齬が生じるのでしょう。
人権を守る事が善ならば、いじめること(他社の人権を侵害すること)は悪です。
弱者や異端者を迫害することは本能なので、いじめる側に知識と教養を強制的にでも植え付けさせるべきです。
そうか?
リスクはかなりいじめの発生を押さえられると思うが。
教育やリスクで本能を押さえられるのが人間だと思うけど。
そりゃ無くすかとは不可能だがいじめる側を抑制する教育の意味は0じゃない。
たとえば動物と違って普通の人間はそこらへんに糞尿を垂れ流さないだろ?
それは垂れ流すことにリスクがあるからというように教育で知っているから。
もちろん我慢できずに垂れ流す「仕方ないパターン」はある。
でも教育で仕方ないパターンは防げるし本能に抗うことはできるわけだわ。
だから加害者側への教育は効果は0ではないね。
それと本文中の制限をつけても排除云々のやつね。
普通の人間は制限つけられても能動的に排除とかはしねーわ。
さすがにそんなことすんのは少数のキチガイだけ。
加害者側がどうの、ってのは議論するのは論点がずれてると思うのですが
なくなる、なくならない以前の問題で、現実として存在している状態からの対応を語っているわけで
なくなるかもしれない遠い将来を語りはじめるのはどうかと思いますねえ
なくならないかも知れないんですから
ニュースとか見てると、もはやいじめというカテゴリで括るべきではない行為が多分に含まれてる気がすんだよな。
例えば、仲間はずれとかは子供に限らず大人においてもあるだろうし、「苦手なヤツだから、声かけるのやめよう」とかね。
子供においてはこの例にしたっていじめの一種となるわな。
このへんはいじめられる側といじめる側、双方に問題があるからお互い考えるべき点がある。
けど、こういった事例ではない所謂「行き過ぎた暴力」に問題があるんじゃないか?
俺らの年齢で思い浮かべる「いじめ」と世間で問題になっている「いじめ」では、根本から違うモノにみえる。
これにはモンスターペアレンツ絡みの教師の体罰問題も関係してくるんだが、悪い事したら小突かれるってのが当たり前だった世代としては、今の体罰無しにしてしまったシステムが悪ガキやいじめっこを犯罪者にまでしてしまったと思う。
カツアゲにしても追い込みの限度しらんかったり、暴力にしても限度をしらん子が問題なんじゃないかね。
もはや今のいじめって、ただの殺人未遂や強盗、果ては殺人とかまでいってるのもあるやろ。
いじめが無くならんのは同意、対処すべきはいじめの限度をキチンと大人が教えてやれる環境を作るべき。
ちょっとした体罰で騒ぎ立てるのが諸悪になってると思うぜ。
その文章中のいじめる側を啓蒙するのは意味がないってところをダウトっていってるだけじゃねーの
後色々と前提が破綻してるから突っつかれてるわけで虐められる方も何らかの改善をすべきってとこは正論.
これは教育だけでなく人文科学・社会科学・自然科学等ありとあらゆる学問分野に
共通して言えることだが、非効率だから問題の根本原因には触れず対処療法しか
手を打たないという発想では問題解決は永遠に図れない。
例えば、ほんの少し前までは不治の病と考えられていた結核や肺炎も研究者の
不断の努力(それこそ治せるかどうかも分からない病気への効率を度外視した研究)が
あったからこそ今では治療と対策が可能になったわけで、その当時の方針が
「結核や肺炎は治せないから予算配分はやめてとにかく栄養・衛生状態をひたすら
良くして感染から逃げよう」というものであったなら、今でもこれらの病気は
難病として扱われていた。
治せるかどうかも分からなかった上記2つと比べて、虐め問題はしっかりした
理論に基づいた対策と指導が実戦できれば根絶は可能なのだからそれをしないで
対処療法だけでお茶を濁すのは短期的(数年単位)には良いかもしれないが、
問題解決から逃げているという意味で長期的には明らな悪手。そういう意味で、
繰り返しになるが いじめ問題には被害者への対応は勿論だがそれ以上に
加害者側への対応が肝要であり入念にされるべき。
>>実際には何の効果もないお題目に過ぎないのではないでしょうか?
事実として教育現場における虐めは確実に減っている。
文科省の児童生徒課あたりのデータを見れば一目瞭然だが効果は実際に出ており
虐めの認知(発生)件数/割合共に昭和末期以降一貫して減少傾向にあり、
ここ数年は8万件を下回っている。虐めの認知(発生)件数/率が増えたH6年と
H18年についても、増えた原因は調査方法を改めたことにあるのであって、
H7年、H19年以降ともに右肩下がりのことを考えると、虐めの数は減っていると
見るのが妥当。
多くの一般市民が「虐めは減らない、不可避なもの」と考えてしまうのはマスメディアが
定期的に一つのいじめ問題をセンセーショナルかつ大々的に取り上げるのを見て
それに強く印象付けられているからであって、その一例だけから全てを知ったように
考えてしまうのは明らかな間違い。
現在、虐め問題が置かれている状態はまだ「減少傾向」なので、
それが実感として感じられるようになるまでにタイムラグがあるのは当然。
例えばの話、100人の集団が95人になっても気付く人間は少ないが、
それが90→85→80と次第に減っていけば、そのうち誰だって嫌でも気付く。
それこそココ数十年で部落差別なんて見たこと無いと言う子どもが増えたのと
同じように将来的にはいじめなんてありえないと言う子どもが増えたとしても
驚くことではない。虐め問題は今、95→90くらいの段階にあるから
分かりにくいだけで、実際に数が減っていることは上で書いたように事実。
もちろん、この実感についてはマスコミ報道の匙加減一つでいくらでも
印象操作が可能なので、一般人の現状認識が実情と正確に重なるまではまだまだ時間がかかると思うが。。。
>>「なんだか気にくわない」と言う理由で迫害しようとする人間なんて
>>余りにもありふれています。
>>これはもう人間の構造上の欠陥として認めるべきだと私は思いますね。
強いて欠陥があるとすればそれは人間の構造ではなく、未成熟な子どもを
未成熟なまま社会に送り出していた過去の教育システム。百歩譲って、
仮に名古屋民が言うように虐めが人間(動物)の本能だとしてもそれを理性で抑えて
より良い社会を作っていくのが人間であり、本能をそのまま肯定して受け入れるのでは
その辺の犬猫と何も変わらない。
ちなみに、仏教の世界ではそういう存在を「畜生」という。
政治や経済、科学等の問題・出来事については一般人の多くは裏付けとなる
知識を持っていないため口をつむぐ。しかし、これが教育学になると何故か多くの人間が
聴かれてもないのに的外れな意見を勝手に述べて居酒屋談義レベルの議論を展開する。
この不思議な減少の原因は、日本人の99パーセントはどういう形であれ義務教育課程を
経ているので、その当時の実体験を元に、正誤はともかくとして、それらしい教育論が
語れてしまうことにある。しかし、個人の主観的体験に基づいた意見は当然、
学問的裏付けや客観性を帯びないため「生産的な意見」というより小学生が言う
「ぼく、わたしの思ったこと」の域を出ない。これが厄介。
仮にいじめる事に強烈なリスクを負わせたとしましょう。
すると殴る蹴るがハブり無視に変化するといった、内容の変化はあると思いますが、いじめ自体が減る事は無いと思います。
いじめとは「強者から弱者への一方的な敵意の発露」ですから、「敵意が無くなる」「敵意を発露しない」のいずれかが達成されない限り何らかの形で継続されます。
リスクがあろうとなかろうと嫌な物は嫌なので、敵意が無くなる事は無いですし、発露の手段をあらゆる角度から完全に封殺する事も不可能なので、後者を潰す事も現実的に不可能です。
なので「とりあえずリスクを上げれば死ぬような事はされないだろ。だからぼっちになる程度は我慢しろや」と言う事でしたら理解出来ますが、いじめ自体が減少すると言う論は私には理解出来ません。
>774さん
そのデータが本当なのだとすれば、ほっといても長期的にはいじめは根絶されるのですから、後は対処療法で時間稼ぎしてれば良いと思うんですがどうでしょう?
これは虐めに関する典型的なよくある論理の誤謬。
というのも、毎年学校には虐めっ子予備軍が入学してくるため、虐めが
減少傾向にあることを理由に虐められっ子へのケアに力点を
置き換えてしまうと、既に書いたように問題の根本原因(虐めっ子)の
対処がおろそかになり、再び虐め問題が蔓延することになる。
したがって虐めの発生件数如何に関わらず、いじめ問題を解決にあたっては
虐めっ子への教育>>>>>>虐められっ子へのケア
という優先順位が変わることはない。
したがって、ネタ蒔きの言う
>>いじめとは忌むべき物でも無くすべき物でもなく、社会が存在する限り
>>常にありつづける必然の現象だと公に認め、それを回避するためには
>>どうすれば良いか、或いは遭遇してしまった時にどうすれば被害を最小限度に
>>抑えられるかをマニュアル化していじめられる側に伝える。
という考えも明確な間違いであるといえる。
別に力点移動する必要なくね?
必要なら両方やればええやん
ネタ蒔きの当初のエントリーを踏まえた上で2013年4月5日23:23の書きこみを
読むと『虐め問題解決には虐められる側への対応こそが正解』と、暗に
書いているように思えてならなかった。
この認識の食い違いの原因は恐らくネタ蒔きが最初のエントリーで掲げた主張が
未だに正しいと思っているのか、それとも折れたのか表明していないことにあると思われる。
未だに
『いじめる側を啓蒙しようなんてのは完全な無駄でしかない。どうすれば被害を
最小限度に抑えられるかをマニュアル化していじめられる側に伝える。これが
最も良い方法だ。』という金八先生宜しく、時代錯誤も甚だしい幼稚な考えに
固執しているようなら論破するし、自分の考えの間違いを素直に認めるならやりようもある。
結局ネタ蒔き本人は今、最初に掲げた自分の主張についてどう思っているのか。そこが知りたい。
どうと言われても、特に何も変化は無いです。
>>虐めは虐める側が「虐める」という行動を選択しなければ発生しない。
たしかに当然っちゃあ当然なんだけど目から鱗だったわ 盲点
いじめにしかみえないぞ
虐めはなくならない仕方ないものだっていう
いじめる側「いじめは人間としての本能だから。いじめをしていた俺は悪くない」
いじめられ側「虐めは人間の構造上不可避だから仕方ないものとして受け入れるしかない」
いじめ側は自分が悪者になりたくないからいじめはなくならないって言う。
いじめられ側は青春時代を暗く過ごした不幸で惨めだった自分を
認めたくないからいじめは仕方ない交通事故みたいなもんだっていう
『虐め根絶のために一番優先してやるべきことは虐めっ子への教育であり、
虐められっ子に処世術や対処療法を施すことではない』、
というのは散々述べたが、これが理屈・実地問わず正しいことも上で散々述べた
んだけど・・・
これだけ説明しても未だにネタ蒔きが意固地になって自分の意見を頑なに
変えないのは何故か、そう考える理由が知りたい。
※勿論、これはネタ蒔き自身が提起して始めた議論なんだから今更
客観性皆無の実体験や自分の主観を根拠にするとか卑怯な逃げは無しで頼む。
ぶっちゃけた話、自分にはどうしてもネタ蒔きがただ単に自分の非を
認めたくないが故に最初の主張に固執しているだけに見えてならないのだが
はたして――― どうなの?
どうと言われても、774さんがそう思うのなら774さんにとってはそれで良いんじゃ無い?としか。
「強者は譲らない。なので誰かと衝突し、その時に自分が譲りたくないのならば、強者になりなさい。」
これが私の考え。
別にこの考えを774さんに押しつけるつもりも無いし、理解してもらうつもりも無いし、納得してもらうつもりも無い。
同様に、774さんの考えを押しつけられるつもりも無いし、理解するつもりも無いし、納得するつもりも無い。
議論とはお互いの主張をぶつけ合って、より良い結論を生み出す事だけど、私はそれを求めていません。
なのでこのエントリーを議論だと思った事がそもそもの間違いなんじゃないでしょうかね?
文句つけるのは自由やで!コメ欄解放してるのもそういうこっちゃ。
>しつもーんさん
逃げるなり何なり好きにすればええやん
そのおかげでネタさんも生きとるわけやし。
仮に強者のバランス調整が行われんかった場合ワープアのネタさんとか税金とか払えやろうしさらに所得低くなって死ぬで。
社会的強者になんらかの制約付けたり道徳教育行うことでバランスとろうとするんは自然なことやないか?
やりたきゃやればええんとちゃうか?
「問題解決を他人に依存する事がそもそも間違っているのだ」
↑これを常識的な普通の人間が聞いたらその内の99パーセントはこのネタ蒔きって奴は道徳教育やいじめをする生徒への指導に反対してるのかーって思うぞw だって、原発はいらないとか戦争を避けるには自衛隊を軍にするしかないとか言ってる奴で原発を持つことに反対はしてないよ?とか自衛隊は今のままでいいよとか言うやつなんておらへんやんw原発いらないって言えば世間ではこの人は原発に反対してるんだと捉えられるのは当然やし、自衛軍推進っていえば世間からはこの人は自衛隊を昇格させたいんだなって思われるのは当然。いくら論破されたからって今更この詭弁で方向転換するのは無理があるw
ネタ「近所にあるのは別にいいけど?」
ネタ「自衛隊は自衛軍になるべきだ」
ネタ「自衛隊はそのままでも別にいいけど?」」
ネタ「ピーマンは不味いから嫌いだ」
ネタ「ピーマンが食卓に並んでも別にいいけど?」
ネタ「黄砂は健康に悪いからよくない」
ネタ「黄砂が飛んでくるのは別にいいけど?」
ネタ「特アの人間はマナーが悪いから本国に帰すべき」
ネタ「特アの人間が日本にいるのは別にいいけど?」
ネタ「いじめ問題を解決するために虐めっ子への対策は無意味だ」
ネタ「でも虐めっ子への対策がされてることは別にいいけど?」
なるほど 確かに無理がある。 結論:ネタ蒔きは行間が読めないアスペ
俺は必要無いと思う。俺が判断する立場にあるのなら、それらは行わないだろう。
けど他の人が俺と同様の考えを持つ必要は無いし、同様の行動を取る必要も無い。
足枷や道徳教育が必要だと思うのなら、そうすれば良い。別に止めはしないさ。
まんま予想通りの反応が来てて苦笑した。まぁ・・・ここまで理詰めで追い込まれた
人間が兎に角自分の面目を保つために返せる意見といえば
「自分は最初から議論のつもりはなかった」
これしかないのは最初から分かりきっていたが、実際にそれをやられると
苦笑いというか哀れみの気持ちすら沸いてくる。
そもそも、議論のつもりがなかったのなら、なぜ最初に私やその他大勢の意見に
「反論」を返したのか。人間が集まって何かの一つの問題の解決策について語りだし、
会話のキャッチボールが始まればそれこそまさにネタ蒔き本人の言う
『お互いの主張をぶつけ合って、より良い結論を生み出す事』=議論、に他ならない
わけだが?議論のつもりでないのならばコメントに返信するにしても
「色々な意見がありますね」「そうですね」「勉強になります」等々・・・
いくらでも議論には発展しない返信は出来たわけで、敢えてそうせずに様々な
意見に対して意欲的に反論を述べた時点で、コメント欄上のやり取りはもはや
議論以外の何物でもなくなっていた。ネタ蒔きは今更になって逃げの一手として
「私はそれ(議論)を求めていません」と言っているが、実のところ、ここまでの
やり取りを議論に仕立てあげたのは他でもないネタ蒔き自身であるという
荒唐無稽な自己矛盾に気付いてないようだな。
いざ実際に議論が始まって論破された途端にそういう後出しジャンケンをして保身に
走るのはテストで良い点が取れなかった小学生や受験に失敗した学生が
「あれは遊びのつもりでやった、俺は別に本気出してないし」と、後で
言い訳するようなものだから止めた方がいい。どうせ自分を論破できる
コメントが書き込まれなかったらドヤ顔で「俺って議論TUEEEE」と、
内心ほくそ笑むつもりだったんでしょう?
ネタ蒔きがやっていることは大人としてみっともないし、客観的に見ても酷く幼稚で
惨めなだけだから今後はこの手のエントリーは書かない方が懸命。昨晩の02:54や03:24の
コメントみたいに、とうとう私以外の人間にも論破され始めたようだし、これ以上
自己弁護を繰り返しても傷口を広げるだけだぞ。どうしても誰かを論破して悦に
入りたいなら今後はコメント機能をDNユーザーだけに限定するなりTwitterに鍵をかけて
身内だけとコソコソ議論ごっこをやるのをお勧めする。ほら、今だってTwitter上では
ネタ蒔き肯定派の人間しか意見を述べてないわけで、ネタ蒔きにとっては
パラダイスになってるだろ。こういう風にすればリアルの付き合いや しがらみの関係上、
自分への強烈な反対意見は誰も言わないから、きっと裸の王様にもなれるよ。
いや、Twitterの方ではもうなってるか。
以上。
追記
※Twitterは終始見てたけど、「建設的な議論うんぬん~」の呟きについては
敢えて見なかったことにした。そこまで追求したら流石に可哀想だし。
自分としては当然の事を書いただけなんやけどな。
しかしこの手の話題を振ると反論の量がパないのに、そのどれもが枝葉末節に噛み付くだけだったり、謎の前提に基づく非論理的内容だったりするのはどうしてなぜなんだぜ?
読み手が不快に感じるのが主に感情的なものに依るものなのです。論理的に反論することが不得手な人がそうなりやすいので、些細なところに突っ込んで「正した」気持ちになろうという意図があるんじゃないですかね。
しかしこの手の話題を振ると反論の量がパないのに、そのどれもが枝葉末節に
噛み付くだけだったり、謎の前提に基づく非論理的内容だったりするのは
どうしてなぜなんだぜ? 2:17 4月5日(金)
>>謎の前提に基づく非論理的内容
>>謎の前提に基づく非論理的内容
>>謎の前提に基づく非論理的内容
それお前の主張そのものじゃんwww ブーメランw
@testing_urborg やはりそんな所なんですかね。自分としては異なる主張をする人と
建設的な議論をしたいなぁと思っているので、合理的な反論をしてもらいたいんですが、
中々難しいですね 2:28 4月5日(金)
>>議論をしたいなぁと思っているので
>>議論をしたいなぁと思っているので
>>議論をしたいなぁと思っているので
コメント欄では「私はそれを求めていません(キリリッ」とか苦し紛れに
言ってたけどコレってつまり、完全に嘘ついてたってことじゃん
ネタ蒔き改め 嘘蒔きさん乙
恥ずかしーwwwwww
しっかし議論を少しでも有利にするために捏造までしてたとは予想外w
この774兄貴って幹部じゃね? あの人なりしゅー問題のときも切れ味抜群の論理的な文章でなりしゅー擁護派をどんどん切ってたらしいし。
もしくはポリスとか? 文章がかなり高学歴っぽい雰囲気
ネタが主観論だけで組み立てた主張を使って勝てる相手ではなかったようだな
ホンマやwwwww俺書いてたwwwwwwwwwwww
そもそも賢ければここまで長引いてないという話ではあるが
こりゃネタがDN始めて以来過去最大の敗北だなw ざまぁwww
1虐め問題について全然知識が無かったのにドヤ顔で意味不明な謎理論を書いちゃったこと
→なお、本人は自分の主張が正しい前提に基づいた論理的なものだと錯覚していた模様
2自分の間違いを早い段階で認められなかったこと
→野生の雑種犬騒動のときから精神的にまるで成長していない模様
3豚が嘘をついたこと
→小学生並のその場凌ぎの言い訳で墓穴を掘ることになるとはw セルフMM状態www
そもそも、「いじめ」のハッキリとした定義がよく分からん状態で、
「厳密には根絶することは不可能」
「それは間違い。本能を理性で抑えるのが健全な人間。お前は畜生」
みたいな「人間はどうあるべきか」みたいな議論をしたところで・・・
>>四日市さん
いじめの定義は多分文部科学省が言ってる当該児童が一定の人間関係にあるものから心理的、物理的な攻撃を受けたことにより精神的な苦痛を感じているもの では?
ブタ蒔き「いじめは被害者側が変わるべき!(どやぁ・・・」
774「それ違うから。 はい論破」
ブタ蒔き「俺は別に議論してたわけじゃねーからwww」
774「議論じゃないってんなら、なんでコメント欄の意見に反論したの?
相手の意見に反論してこのやり取りを議論にしたのはネタ蒔き自身じゃん
てかそもそもTwitterでは『議論をしたいなぁ』とか呟いてるねw 嘘つき乙」
ブタ蒔き「・・・・・・」
一般的にこの手の議論で焦点になるのは文科省が発表するデータの正当性についてですよ。。。と、アドバイスしてみるテスト。いじめ撲滅においては被害者側よりも加害者側への対策が重要なのは教育の世界では当たり前田のクラッカー、超常識です。ネタ氏は普段何も考えずに週刊誌やワイドショーをはじめとしたマスコミの情報を鵜呑みにするからこんな低レベルな議題しか挙げられないのでしょうが。。。一見、凄そうに見える774さんにしたって、ロジックの組み立て方や主張の内容はハイレベルでも何でもない普通のことですよ。。。しかも、774さんはネタ氏に立証責任がある“千の言葉を尽くしたところで根本的原因である嫌悪感は払拭出来ない”や“「なんだか気にくわない」と言う理由で迫害しようとする人間なんて余りにもありふれています”という主観論だけで構成されたウィークポイントを意図的に追及しないでスルーしてあげているのだから、これは相当優しい人だと思いますけどね。。。単刀直入に言ってしまうと、ネタ氏のレベルがそれこそ低すぎたんですね。。。残念ながら。「議論したい」というなら自分の主張を裏付ける必要最低限のデータくらいは用意しましょうよ。客観的データによるが裏付けが伴わない意見は主張というよりただの呑んべえ親父の戯言ですよ。。。ですからネタ氏は議論のスタート地点にすら立ってなかったんです。。。厳しい言い方になってしまいますが。。。
データが無いなら議論にならない?
まぁ、会社や自治体の行く末を決めるような決定をする議案ならともかく、個人の思想や嗜好の是非を決める程度に実証データが無いなら議論できないとか、どんな暴論ですかww
大筋から言うと、ネタさんの表現が大袈裟なのが噛み付かれた原因ですよね。
「昨今のニュースで取り質されるようなイジメがなくなろうとも、強者と弱者が相容れないのは必然だから、弱者には弱者の生き方もあると教えるべき」っていうのがネタさんの主題じゃないんですか?
なんかネタさんが最初に「【根絶されないいじめ】の定義を恐喝・暴力~仲間はずれ・無視」とまで広く定義しているのに、無くせる範囲のいじめの定義で語って得意気になっている方が多すぎるんですがw
それこそ議論しないと分かりませんが、<ネタまきさんが最初になくせないと言った人間の迫害行為(他者への拒絶)>と<文部科学省が調査している学校内のイジメ>は絶対に同じものじゃないと思うんですがwww
私から言わせると、両者が言っている「他者への否定的な行動」の程度が違うのに言い争ってるのが笑えますww
ネタまき
「地震からは逃げられない。だから自衛が大事」
自称地震に詳しい人たち
「いやいや、勝手に諦めんな。人の知識は無限大。首都直下型地震など完全に予知することが可能になるから!大規模地震での被害は絶対予見して被害は抑えられるようになるから!!」
ネタまき
「誰も首都直下地震だけに最初から限定してねーだろカス。よく読めやwwwちょっとした地震でもベッド付近の棚が倒れれば危ないだろ。そのちょっとしたリスクすら理解せずに生きてるやつに自衛策を教えてやれやタコ」
っていう話じゃないの。
下の地震の例だとネタ蒔きが言ってるのは
「地震からは絶対に逃げられない。だから地震予知の研究は完全に無駄。自衛しか対抗策は無い」こうだぞ。
首都直下地震うんぬんの例えはよく分からないのでぱす