敬遠って悪いことなの?
2012年12月29日 TCG全般 コメント (21)http://blog.livedoor.jp/yakiusoku/archives/53862050.html
敬遠はルール上認められている行為なのだから、勝負するよりも敬遠した方が低リスクである状況ならば敬遠するのが正しいプレイング。
星陵の敗因は松井が敬遠される事を想定していなかったorその対策が不十分だった事であり、明徳義塾に非は無い。
正々堂々と言うが、明徳義塾はルールに則り最善を尽くしたに過ぎない。
これが正々堂々でなければ何だと言うのか?
勝率を犠牲にしてでも勝負をしろと言うのであれば、それは試合でなくショーだ。
ショーであるならば、勝負をせざるを得ないようなルールに変更すべきだろう。
敬遠が本塁打扱いになれば、例え相手が松井であろうと勝負せざるを得ないのだから。
いずれにせよ、最善を尽くした側が罵られると言うのは釈然としない。
試合終了時に泣きじゃくる星陵ナインの中で松井だけが無表情だったとあるが、それは彼だけが明徳義塾側の判断は正着であり、それを打破出来なかった自分たちが未熟であったのだと理解していたからのような気がする。
敬遠はルール上認められている行為なのだから、勝負するよりも敬遠した方が低リスクである状況ならば敬遠するのが正しいプレイング。
星陵の敗因は松井が敬遠される事を想定していなかったorその対策が不十分だった事であり、明徳義塾に非は無い。
正々堂々と言うが、明徳義塾はルールに則り最善を尽くしたに過ぎない。
これが正々堂々でなければ何だと言うのか?
勝率を犠牲にしてでも勝負をしろと言うのであれば、それは試合でなくショーだ。
ショーであるならば、勝負をせざるを得ないようなルールに変更すべきだろう。
敬遠が本塁打扱いになれば、例え相手が松井であろうと勝負せざるを得ないのだから。
いずれにせよ、最善を尽くした側が罵られると言うのは釈然としない。
試合終了時に泣きじゃくる星陵ナインの中で松井だけが無表情だったとあるが、それは彼だけが明徳義塾側の判断は正着であり、それを打破出来なかった自分たちが未熟であったのだと理解していたからのような気がする。
コメント
この話はよく議論の的になりますが、少しばかりですが教育を学んだ者として一つ言わせてくださいませ。
甲子園に出ているのは高校の部活動であって、仮にこれが草野球チームやプロチームだったなら何の問題もなかったと思います。例え高校生でも。
問題は、部活動というものが構造的に教育の内部、しかもほんの一部に過ぎない存在だということだと思います。
教育的な配慮からすれば、たとえ社会が弱肉強食の競争社会だからといえ、教育現場にもそのまま合理主義や勝利至上主義やは適用すべきではないのではないでしょうか。
強かさは社会に出てからいくらでも学べますが、真っ直ぐ進むことは教育現場くらいでしか誉められないようなこんな荒んだ世の中ですし。
と、長々とマジレスすみませんでした。
もし仮に合理主義が教育現場に馴染まないのだとすれば、なぜトーナメント形式で競わせるのでしょう?
勝負事と合理主義とは不可分な関係にあるのですから、合理主義から生徒を遠ざけたいのであれば、試合などせず練習のみ繰り返させれば良いはずです。
私は教育現場に合理主義を取り入れる事は正しいと考えています。
部活動とは言え他人と競う以上は勝ちたいと考えるのが普通です。
だからこそ全力を尽くし、惜しくも敗れたチームは無念の涙を流すのです。
「勝つために最善を尽くす事は悪である」
こんな考えを生徒達に押しつける事の方が教育的に問題な気がしますが如何でしょう?
ちなみにマジレスは超大歓迎です。
一見さんでも通りすがりさんでも関係無く大歓迎ですのでこれからもよろしくお願いします!
「集団で勝ち負けを決めること」が主体のゲームを行なっている中で、
「教育現場に勝利至上主義を適用すべきではない」というのは矛盾していると思います。
ネタ蒔きさんの言う「合理主義から生徒を遠ざけたいのであれば、試合などせず練習のみ繰り返させれば良い」という意見に全面的に同意します。
運動が目的なら戦う必要はないし、
戦う事を選んだのならルールに則って戦った人を
非難することはありえないと僕は思います。
関係無いですが、最近の小学生の運動会では
かけっこの結果を全員一等賞ところもあるらしいですね。
戦わせたいのか戦わせたくないのか全く解らないです。
野球に詳しい人ほど文句言わないのはそれがルールで正当な為
本人達にとって真剣勝負なのでルール上認められている事は躊躇なく行う
見ている人は観客なので力勝負を見たいのに見れなかったから文句を言う
教育者にとっては本音よりも建前が大事なので道を説く
ではなぜ観客はプレイヤーや監督を非難するのか?
力勝負が見れないのは現状のルールがそうなっているからだ。
ルールを作るのは運営側であり、選手達はその枠内でしか動く事が出来ない。
つまり観客の要望に応えていないのは運営側であって、文句は運営側に言うのが筋だろう。
更に言えば「日本人の」と置き換えても良いかと。
実際、その謎の「温度感」が読めないと大抵
会社員っていう立場の人間になった人は失敗してる。
※合理主義で回答すると客は逆ギレするからねえ。
また、世間はそういうのを「紳士協定」とか
呼ぶから余計質が悪い。頭痛くなるよ。
詰まるところ、「社会は得てしてそんなもん」位に
考えないとやってらんないよ、ってことです。
こんな考えを生徒達に押しつける事の方が教育的に問題な気がしますが如何でしょう?
他人を傷つけても、目標を達成するために合理的であれば良しとするのですか?
こちらには非常に納得しました。
この二つが互いに存在する以上、観客側は自身の感情をいい放題。
なのでスポーツよりもギャザや格闘ゲームが好きなってしまいましたw
ネタ蒔きさん、これからも業界を一緒に盛り上げていきましょうね☆
合理的で正しいことを世間のみんなが常に認めてくれるとは限らんやろ?
MTGでも失効能力を使って勝利したプロがおったけど外人に叩かれとったやん?それと同じやで。
明徳の監督やって批判は来ると思うとったってゆうとったしな。
あと、最後の一文やけど松井は試合後「勝負してほしかった」っていうコメント残してたしそれは勘ぐりすぎやと思うけどなw
イケメン
極端やろ。
合理性の不合理っちゅうてな、その場では合理的であっても長期的に不利益を被ることがあんねん。
現代の日本では他人を傷つけるとなんらかの形で不利益がかえってくるもんや。
せやから他人を傷つけることは結果的にその場では合理的やが将来的には非合理的になるっちゅうことやな。
せやからあんたのいうことはおかしいで。「他人を傷つけてまで目的を達成すること」自体が長期的視点では合理的であることが少ないからな。
もちろん世界中の人間を敵に回して勝てる自信があるんやったら十分合理的になりうるんやけどなw
青卓
MTGも外野に言われたい放題なんはかわらんとおもうでw規模が違うからこんなに表面的にならんだけでw
あいチャン。
遊びやったら別にええけど甲子園までいく高校球児は若い時代のほとんどを野球につぎこんどるんやで。
メンバーやって野球うまいもんを勝つためにえらんどるんや。レギュラーの連中はベンチやベンチに入れんかったもんの思いまでせおっとる。
そこでレギュラーが勝負したいとか勝つため以外の行動をしたらベンチやそのベンチ入り争いにまけてった連中はどう思うんやろな?
勝つのが目的じゃないんならなんで一生懸命やってきた3年生より野球のうまい2年生を思うんやろな?
そこんとこよく考えろや。
雑魚のお遊戯会なら勝負してあ~^まけた~^で済むかもしれんけど部活動で全国レベルまでいく連中ってのはそれだけ真剣にやっとるんや。
もちろん高校の部活が全てとは言わんし将来に響く重大な疾患があれば止めるのが教育者の正しい姿やと思うが、勝つために己の全力を引き出している子供たちに水を差すんは教育やないと思うで。
もし教育の道に進むんならそこだけはよく考えよ?
この一件で人生を狂わされた球児もあろうに、「そんなもん」の一言で不条理に切り捨てられては浮かばれないな。
>WaterForestさん
敬遠出来ない野球はマリガン出来ないMTGみたいなもんだと思うのですが、
そう言った片手おちの状態で敗北した所で何を得られるのかは疑問ですね。
>イケメンさん
まず1つ目に、
ルール内において自分の利益を最大化する行為は、他人を傷つける事にはなりません。お互いにそのルールを守る前提でその場に臨んでいる訳ですからね。
そして2つ目に、
他人を傷つける事にはリスクが伴います。それを考慮してもなお傷つけた方が良いと判断するならば、躊躇わずそうすべきです。
>アオタクさん
筋の通らぬ事を感情にまかせて言い放つ人は理解が出来ませんね。
業界を盛り上げる役目はのぶ辺りに任せた方がいいかもw
>細菌さん
なんJ民乙w
世の中には非合理的で感情的な人が沢山いて、そう言う人達の身勝手な発言も1つの意見としてまかり通るのは事実だろうね。
要するに観客の程度が低すぎると言う事だけど、その先にあるのは「観客達は無能なバカだ。なので耳を貸す必要など無い。」と生徒達に教える監督や学校のはずで、それが観客達の望む高校球児なのだろうか?
あと最後の一文は単なる妄想やからなw
監督や学校はこう教えへんで。仮におったとしても、そういうことを子供にいっちゃう大人はまちがっとるしアホやし糞なセンコーや。子供にあきらめと世間への偏見を持たせるだけで何の解決にもなっとらん。
学校や先生がかけるべき言葉、教えるべきことは「世間にはカスがたくさんいる」じゃなくて
「君たちのやったことは理解してくれる人がちゃんといる。だから今日の勝利に誇りを持ちなさい」
やろ。「世間は正しいことをいつか評価してくれる、だから自信を持って行動しろ」って教えるんが正解や。
それが成長、正しい教育っちゅうもんやないか。
言葉っちゅうもんは言い方ひとつで成長にもなるしあきらめにもなるんやで。おぼえとき。
事実今では敬遠もぐう仕方ないってさそうくんみたいに理解してくれる人はたくさんおるやろ。あの時の苦難が今報われつつあるんやな。
いずれにせよ、球児と観客との距離が遠くなると言う点では同じ事。
果たして観客達はそれを望んでいるのだろうか?
ちなみに諦める事も成長だと思う。
諦めるとは期待しない事だけど、何を期待して何を期待しないのかを理解する事は生きる上で非常に大切な事だと思う。
あと「世間の理解をあきらめる」は成長やないで。
仮に自分のやってることが間違いなら成長やけど。
世間の考える高校球児と実際の高校球児のイメージが剥離すること?
それとも世間の考えと高校球児の考えがすれ違うということ?
突然出てきた言葉やしそれと読み替えられる要素がないからわからへん。
ルールに則った安全策を敢えて行わないという所にショー性を見る観客が多かったのでしょう。
ただ、明徳側からのネタ蒔きさんのような反論は常に有効であるべきだと思っています。
その中に勝利至上だのと定義することの方が無意味です。
試合なんだから、勝ち負けがあれば勝った方がいいのは明白で、地方大会の一回戦ではあるまいし(地方大会をバカにするわけではないです)甲子園で、都道府県の代表で試合をしてるわけですし、全国の一位になるために、スポーツやってない人からしたら想像もつかないような、辛く苦しい事を積み重ねて来てるわけです。
教育を、と高らかに言うのであれば角度を変えて物をみた方がいいと思いますね。
教育を与える、という見地から見てる人間は選手の立場になって考えてあげるべきなんです。
明徳義塾の監督の言葉を見ましたがあれは正論だと思いますよ。
監督なんですから、チームを勝ちに導かなければなりませんしね。
それだけではスポーツの良さが云々という人がいるならば、それはやはり選手の事を全く考えていないと思いますね。
選手の成長なくして立てる舞台ではないですし、勝った負けたでの成長よりも日々の積み重ねにおいて自分の中での発見が一番の成長なのですから。
長長すみませんでしたm(__)m
まあ諦める云々は俺の主観なので置いとこう。
観客との距離が遠くなると言うのは、球児がやらんとする事と観客が見ようとする物が剥離していくと言う事。
通りすがりさんが書いてくれたように、観客があくまでショーを期待するのであれば、それはもう見る物を間違えているとしか言えなくなる。
焼きそば食べたいのにラーメン屋に行き、焼きそばを出せと文句を言い続けるようなものだ。
これは凄く不幸な事のはず。
本来なら焼きそばが食べたければ焼きそば屋に行けば良い。
そうでなく、あくまでこの店で焼きそばが食べたいと言うのであれば、店員では無く経営者に対して「この店を焼きそば屋にしろ」と訴えるべきだ。
しかし現状では経営者でなく店員に対してそのような事を言っている。
それではいつまでたっても焼きそばは食べられないし、店員側も嫌な思いをするだけで、お互いにとって何の得も無い不毛で非合理な事だ。
じゃあなぜそんな不毛な事をするんだろう?
これが不毛だと分からない人間が文句を言っているのだろうか?
それとも実は俺には考えつかないような深い思惑があり、思案を重ねた上で選手を非難すると言う選択をしているのだろうか?
或いは単純にムカついた心を手っ取り早く癒やすために、理も筋も考えず目の前の人間に当たり散らしているのだろうか?
この辺りが凄く気になる。
>通りすがりさん
ミスマッチですよねえ。
ショーがみたいならなぜ甲子園に行くのか、全くの謎です。
>にまさん
長文大歓迎ですよw
むしろ長文の方が沢山読めて得した気分になります
ただ、議論が活発化するのはいいことだと思いますし、皆さんのご意見を読ませて頂いてとても参考になることも多いですので、個人的にまず皆さんにお礼を(_ _) ありがとうございます。
細菌さんのお言葉への返しも含めてですが、まず僕は教育の道に進むかはまだ決めかねているところです。というのも大学の講義を聴いても教育実習を通しても、まだまだわからないことだらけなんですよね。まさにこの問題も含めてです。
大学の教職の講義では、よくこの手の問題が例題として出されます。「あなたならどうしますか?」的なやつで、特によく覚えてる例題に、それこそ「最後のバッターに、頑張ってきたけどレギュラーよりは下手な控え3年生を代打で出すか。」ってやつがありました。
これは確率論でいくと(状態にもよりますが)普通は出さないべきってなると思いますし、最近は実際に出さない監督さんが増えているように、僕は一甲子園ファンとして感じてます。僕もずっとスポーツをやってきて、少しだけ人よりうまかったせいかプライドも高くて、それこそ「下手なやつなんて出してこっちの努力をパーにする気かよ」みたいな風に思ってました。実際に講義を受けてた8割くらいの学生が、「代打を出さない派」だったかと思います。
教授はこれには否定的な意見で、僕らはこのとき説教を喰らいました。笑 この教授はただ感情論的だったんであまり真には受けなかったんですが、実際にその後に教育実習に行ってみて、教育というものの重みをまざまざと感じたんですよね。子どもたちってもう、想像以上の純粋さなんです。僕らなんかはもう、世間では強かな方が上に行くって(諦め半分に)理解してますけど、子どもはまだそういうことを諦めてないんだと思いました。でもそれは子どもたちが無知なわけではなくて、今の子たちは厳しい受験競争とかさせられて、むしろそういう社会の仕組みには気付いてはいるんですけど、言葉が正しいかわかりませんが「正義感」みたいなものが生きてるんだなあと見ていて実感しました。
僕は敬遠というルールとか勝負にではなくて、そういう子どもたちの可能性を殺してしまうような「采配」そのものに疑問を感じたんです。これも感情論なんでしょうかね? でも僕はあまり頭も良くないのでもっと単純にして考えて、「他人に思いやらなきゃいけない」っていう法律はないから、イコール「思いやりなんてこの世には要らないよ、他人なんて法律に触れない範囲で蹴落とせ」なんて教育の現場の人間までもが教えていたら、人間はおかしくなってしまうんじゃないかと思いまして。これは驕りではなくて、教育って特別なものなんだろうなあと感じます。ただ正解を与えればいいわけではないというか…うまく言えないんですけど。だから明徳ナインは指示に従っただけでしょうし非難する気はないんですが、もし監督が生徒への後の非難などを予測していながらもあの采配をしたのであれば、教育者としては理解しがたいなあ、と。これを言い出すと、職業監督の存在を認めていたり、甲子園をあんな風に大々的に放送してまさにショー化している高野連を批判したくなっちゃうんでやめときますが^^;
とはいえ皆さんのご意見を聴いて、まだまだ自分でも答えは出ませんがとても勉強になりました。教育に答えとゴールはないという青臭い言葉を信じてこれからも精進して行こうと思います。またまたクソ長文失礼しました。
話は一気に変わりますが、僕もMTGプレイヤーの端くれでよく日記読ませていただいてたんで、リンクさせていただきますー。
ルール上認められてることなので正しいことだと思います。某水島漫画でその可能性にはかなり前に触れて書かれてはいましたので、現実にもありえない話はないかなと。で、それをやった明徳には何の落ち度もない訳で。
勝利への可能性というよりは確率論になってしまうのは仕方ないですが、明徳側も無条件で1つ塁を取らせてますし仕方がないことだと思います(プロですら首位打者取らせる為に敬遠することもありますからね)。
基本的にどんなお題目を並べても優勝したいでしょうし。涙と汗と感動…ってのは期待しないでいいかなぁと。松井自身も「自分が凡退してもチームが勝てば良い」って考え方(この敬遠で会得したらしいですが)らしいですしね。
①5番打者への過度なプレッシャーが彼の野球人生に悪影響を与えたこと
②バッシング騒動の発生
これらを含めたトレードオフを考えなかった点だな。
まさに合理性の不合理だと思う。
敬遠策自体は非難されるべきではない。
ただ、「あるべき高校野球児像」とやらを求めている人々の存在に監督が気づき、起こる事態が予測できたなら、上の2点を和らげる方法まで考えておくべきだった。
敬遠策自体の是非が、何故かこの件の是非に食い込んで来てしまっている印象がある。